笠松天領の駅とは

※写真は笠松陣屋のイメージ画像です。

在りし日の賑わいそのままに…。「人・もの・情報」の交流の場・笠松天領の駅

皆さんは「まちの駅」をご存知でしょうか?

地域への来訪者にトイレ・休憩場所を提供し、観光案内など様々な情報発信するという役割上は、「道の駅」によく似ていますが、「道の駅」は

市町村など公的な団体でなければ設置できません。

対して「まちの駅」は必要な基準を満たせば、公共・民間問わず設置が可能という点が特徴です。


そんな「人・もの・情報」の交流の場である「まちの駅」が笠松町には49駅あります。

「笠松天領の駅」もそのひとつ。

人々が集い、昔の話に花を咲かせる…。

そんな茶飲み話ができるサロンとして憩いの場を提供しております。


内では笠松の昔の写真も多く展示されていて、写真を眺めながら休憩できるサロンになっています。

皆さんもぜひ一度、足を運んでみて下さい。


※駅名の「天領」は江戸時代、笠松が天領(幕府直轄地)だったことに由来します。

また「笠松天領の駅」は、全国の良質な物産が集まる流通の場でもあります。


普段ではなかなか手に入らないものやその土地でしか購入できないものなど、良質な品々をかつての天領地を中心に全国から取り寄せて販売しております。

笠松について

木曽川と共に栄えた歴史と伝統が息づく町・笠松

笠松は元は尾張国でしたが、天正14年の木曽川の氾濫により川の位置が変わり、尾張国葉栗郡から美濃国羽栗郡となりました。


また尾張と美濃の国境に位置し、古くから木曽川を通じて尾張と美濃を結ぶ重要な地として、江戸時代には天領とされました。

木曽川沿いという地の利を生かし、江戸時代から明治時代初期にかけて美濃郡代笠松陣屋が置かれ、政治経済の中心地となっていました。

明治維新後はここに笠松県が置かれ、旧笠松陣屋をそのまま庁舎として使用。

明治4年の廃藩置県により美濃一円が岐阜県となった後も行政はここで行われ、明治6年に岐阜市へ県庁が移されるまで続きました。


笠松陣屋は明治24年の濃尾地震により焼失しましたが、陣屋跡は笠松町の史跡として整備されて現在は小公園となっています。

天領とは

江戸時代に幕府直轄地だった土地を指します。

中でも特に重要な地を治めた全国四箇所の「郡代陣屋」のひとつ、

「美濃陣屋」がここ笠松におかれていました。


ちなみに全国四箇所のうち岐阜県には笠松と高山(高山陣屋)におかれたことからも、岐阜が全国的に重要な地であったことが伺われます。

(残り二箇所は、関東郡代:埼玉県北足立郡、西国郡代:大分県日田市にあります)

現代では、名馬オグリキャップを輩出した地方競馬・笠松競馬場の町として、多くの競馬ファンからも親しまれています。

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